(把興趣小缺的領域改成有動力研究的主題)
正文
問題意識
略知日本近代史的人幾乎都聽過「大正民主」,本稿目的在於研究日語中「民主」之語源與翻譯演進,及最後被人們所廣泛使用的語彙為何。
相比台灣較為頻用的「民主」,對於這個詞日語中有兩個常見的說法「デモクラシー(democracy)」和「民主主義」。
這裡需特別注意的是,日語的組成之一是外來語,有些詞僅存在外來語的表達法,另外也有由不同語種(和語、漢字語、外來語等)可互相替代的近義詞,比如台所、厨房、キッチン,當然在嚴格意義下,這些詞所指的廚房樣式也不一定完全相同。
然而關於「デモクラシー」和「民主主義」到底有何區別呢?這個研究方向其實還有許多結構類似的詞能夠研究,比如兩者皆廣為使用的「ナショナリズム(nationalism)」和「国家主義」,另一個例子為,比起「ファシズム(fascism)」很少見的「結束主義」,還有例子是「フェミニズム(feminism)」,該語不存在其他語種的近義詞。
可以注意的是,這些帶有「主義」的日語語彙,對應的英文通常是 -ism 結尾,極少數特例之一就是 democracy 的譯語「民主主義」。語源 democracy 本來帶有制度、政體的意思,卻在日譯語被加上不該有的「主義」,儘管如此,譯語「民主主義」已經根植在當今社會,廣受接納。可以問的是,這帶有誤會的譯語,是否讓該詞的意思遠離原意並產生了變化?現代日語的定義與表現中,又是如何區別「デモクラシー」和「民主主義」二詞?以這些疑問為出發點,本稿透過歷史視點與翻譯過程研究試圖釐清兩語的區別。
歷時分析:democracy 的定義及翻譯妥當性
首先,以譯語「民主主義」在辻清明《政治》(1978)所記載的定義為
英語「democracy」的語源是希臘語的 demokratia,即demos(人民)和kratos(権力)所結合的詞,也就是「人民的權利」的意思,不同於權力集中於一人的君主政治、權利歸於少數人的貴族政治。
基於這個解釋,可以得知 kratos 不是指人民就是「掌權者」,而是指人民有「參與政治決策的權力」,是主張權利平等、非階級性的詞彙。但是根據野口忠彦(2011)的論點,「民主主義」這個翻譯過於強調「主」,使人直覺性地劃分主從關係或思考到主權歸屬,甚至可能聯想到民粹,這樣的想法會違背本義上的「非階級性」,這就是此譯語不夠妥當之處。
「民主」又或容易誤會成一個完全不同的概念「主權在民(popular sovereignty)」,這是盧梭(Jean-Jacques Rousseau, 1712-1778)首先提出的概念,是為了對抗當時「君權神授」的主流想法。順帶一提,現在我們談的民主在歷史上真正開始討論是從19世紀起。
若要提供一個更適合的譯語,參考前述的辻清明及野口忠彦都有論及的「眾民政」或「民政」都是適當的選項。其中「眾民政」是小野塚喜平次在大正15(1926)年造出的用語,後來也受到一些學者認可與使用。
接著,考察「民主主義」在日本是何時開始被使用的呢?1860年代中期,由西周引介《萬國公法》(美國國際法學者Henry Wheaton的著作中譯版)進入日本,也因這本書對當時的知識人的影響力,包括「民主」許多日語中未曾有的詞,以「新漢語」的形式豐富了日本的詞彙。接著,根據陳力衛(2011)的研究,在1888年發現「民主主義」的使用例,另外也出現「民主的精神」的用法,能夠推測這時大眾對「民主」的認知已經超越本義上的「制度」,往更概念化的主義與精神方面發展。
再來可以討論一個問題,就是既然用語「民主主義」已經存在,為何「デモクラシー」仍然在大正時期開始被廣泛接納並採用?這問題可以參考陳力衛的論點。
進入大正時代,日本受到民族自決浪潮的衝擊,民主自由的氣氛日益高漲,「民主主義」一詞席捲了日本文化的各個領域。當時,日語中流行起 Democracy 的音譯詞「デモクラシー」,以一種新鮮的印象,與過去以政體為中心的「民主」劃清了界限。
基於以上對於「デモクラシー」這一新詞引進的說明,我們還可以用另一視角來看「デモクラシー」,大正5年提倡「民本主義」的政治學者吉野作造(1878-1933)主張,有別於「民主主義」主張人民是主權者(国家の主権は法理上人民に在り),把「民本主義」定義為符合君主制的「國家主權運作的基本目標,在政治實務上應當在於人民。(国家の主権の活動の基本的の目標は政治上人民に在るべし)」,涵蓋這兩層含義,總和起來正是「デモクラシー」。
現在,未完待續
不論是誰,最初的母語學習總是「自然地」學習,從周遭的人不段重複的說話片段習得構句與詞彙,並不是透過嚴格的定義去掌握初期的生活詞彙,也不是透過字根或字詞的起源去認識,對於一個詞彙的認識幾乎都是「共時性」(synchronic)的。
但綜觀語言可以得知,語言的變化不曾停止過,變化是漸進地、感染似地蔓延一群又一群人,因此即使「民主主義」這個翻譯語離字源的意思不是很到位,我們卻難以推翻這個詞的地位。正如索緒爾的手稿(1916)內談到的
時間確保語言的連續性,同時又有一個從表面看來好像是跟前一個相矛盾的效果,就是使語言符號或快或慢發生變化的效果。
最後分析起來,這兩件事是有連帶關係的:符號正因為是連續的,所以總是處於變化的狀態。
至今為止,是它的過去,而它的未來還正在上演,儘管去專研的人還佔少數,儘管中文拋棄主流翻譯時就像在跟大眾作對(因為中文不像日語有外來語可替代)。儘管看似徒勞,我們還是可以參考一下這兩位學者的意見,站在日語的角度重新思考,從腦中將這兩個原本黏在一起的詞剝離,或是從一個純中文的角度試圖將「民主」這詞彙解構再重構。
參考〈特別座談会デモクラシー再考〉(2012),中溝和弥的想法是
關於是否應區分使用「デモクラシー」(democracy)與「民主主義」一事,我個人並不作此區分。就我的理解而言,將民主主義區分為兩個維度來理解是較為有效的:其一是作為制度的民主主義,即「民主制」;其二是作為理念的民主主義,亦即「自由」與「平等」的理念。
田辺明生的想法
關於「デモクラシー」與「民主主義」之間的差異,我將「民主主義」視為一種理念,而將「民主制」視為一種制度。 「デモクラシー」則是一個同時涵蓋上述兩者,並進一步包含民主實踐與關係性的概念。雖然談及「制度」時,人們往往會聯想到「代議制」,但由於在其他領域中,デモクラシー的運作同樣至關重要,因此我認為,相較於「民主主義」或「民主制」這類狹義的詞彙,使用「デモクラシー」一詞更為理想。至於我如何定義「デモクラシー」,我將其界定為:位於關係網絡中的多元主體,在與他者(包括自然)交流當中,發揮各自的「行為主體性」(agency),進而實現更好的關係網絡。換言之,デモクラシー是提供「更多自決途徑」的社會性、政治性、技術性條件。
日語版
研究の背景と動機
学術論文や新聞記事では、カタカナ語と、それに対応する漢字語・和語が混在して用いられる例が少なくない。筆者は、とりわけ理論的概念を表す語彙の用法に注目した。たとえば「ナショナリズム」には、広く通用し、すでに定着している漢字語として「国家主義」がある。その一方、「ファシズム」に対して「結束主義」という訳語が用いられることは稀である。さらに、「フェミニズム」には広く受容された漢字語が見当たらないといった例のように、これら思想・政治学の用語はカタカナ語が代表的とされる一方、漢語訳は必ずしも定着していない。このような状況は文化庁(2007)の調査結果のとおりに反映した。2007年に文化庁が行ったカタカナ語を中心とした外来語の世論調査によると、「日頃、読んだり聞いたりする言葉の中に、外来語を使っている場合が多いと感じることがありますか。」という問いに対して86.1%の被験者が「ある」と回答した。
こうした背景の中で、「デモクラシー」と「民主主義」とのペアは、近代社会において高い頻度で使用され、併存しているという点において注目に値する用例である。そして、現代民主制の社会を生きる我々にとって、基本知識として深めるべき概念の一つとして、今回の考察対象に選定した。
問題提起
本稿でとりわけ着目しているのは、まず原語と訳語の形態的な不整合である。原語である「democracy」は、接尾辞「-ism」(主義)を持たないにもかかわらず、日本語では主流的に「民主主義」と翻訳され、定着している。元々制度や政体を指す言葉に「主義」がつけられたら、現在にはどういった意味上の変容が見えるのか。また、この訳語と語源とするカタカナ語は現代においてどのように使い分けているのか。本稿では、これらの疑問を出発点とし、現代日本語における「民主主義」と「デモクラシー」について歴時的考察を行う。
ちなみに、筆者は台湾人として、周囲の知人数名に意見を求めた際にも、概ね一致した語感を得られた。それは、一般的に台湾華語では「民主主義」より「民主」の方が自然であると思われる。「大正デモクラシー」における台湾華語の訳語も「大正民主」の方が圧倒的に多く使われている。
台湾華語のことはさておき、続いて、日本語の「民主主義」という形で検討する。
訳語「民主主義」の妥当性:歴史の流れから見る
「デモクラシー」の訳語としての「民主主義」の妥当性については、既に議論が存在する。まず、定義を示す。辻清明『政治』(1978)に項目の「民主主義」では、
英語「democracy」の語源はギリシア語のdemokratiaであり、demos(人民)とkratos(権力)とを結んだものである。すなわち、〈人民の権力〉の意味をもち、権力が単独者に属する君主政治、少数者に帰する貴族政治と区別される概念であった。
この語源的理解に立てば、kratosが指すのは主権者の所在ではなく、人民が政治的決定に参与する形態ができることであり、非階級性という権力的平等を主張する言葉である。野口忠彦(2011)によれば、その語源と矛盾を感じさせた「民主主義」という訳語は、「主」という語を通じて主従関係や主権の帰属を想起させやすく、政治過程のあり方としての democracy の意味を必ずしも的確に表現しているとは言い難い。また、もし他に適切な訳語を選ぶとすれば、辻や野口も言及している「衆民政」や「民政」が有力な案として挙げられる。「衆民政」は、小野塚喜平次が大正15(1926)年に作った訳語であり、のちにも複数の学者に認められ使用された。
野口もまた、政治形態や制度を意味する接尾辞「-cracy」や「-cratic」の訳語として「主義」が充てられた背景には、当時の日本において「主義」という語彙の流行があったと述べている。
また、歴史的変遷を考察すると、1860年代半ば、西周らが日本に紹介された『万国公法』[1]の影響を受け、「民主」を含めて多くの新漢語が日本に伝来した。陳力衛(2011)によれば、日本語での「民主主義」の早期の例が1888年に見られ、「民主ノ精神」も使用し始めたことから、「民主」の用法は元の「制度」外、主義や精神を表すようになっていたと述べた。
すでに「民主主義」という語が存在していたにもかかわらず、なぜ同義語である「デモクラシー」が広く受容されたのか。大正期におけるその背景について、陳力衛は次のように解説している。
大正時代(1912-26) に入り、日本では民族自決の波が押し寄せて民主自由の機運が高まり、民主主義が日本文化の各領域を席巻してきた。日本語にはDemocracy の音訳「デモクラシー」が流行し、新鮮なイメージをもって政体中心の「民主」との違いを鮮明にさせた。
さらに、注目すべきは、大正期において、陳は吉野作造が提唱した「民本主義」[2]に言及し、デモクラシーを「民本主義」と「民主主義」の両方を含む概念として用いました。このような当時の語の使われ方を背景に、1954年に信夫清三郎が著した『大正デモクラシー史』をきっかけとして、「大正デモクラシー」は歴史的な専門用語として定着しました。
これからの行き先
現役の研究者の中で、実際に「デモクラシー」と「民主主義」をどのように使い分けているのか、2012年の特別座談会「デモクラシー再考」で示された意見を参考にして、たとえ言語の変遷に与える影響がわずかであっても、言葉を選ぶ際の意識をおろそかにしたくないと考える。
中溝和弥
「デモクラシー」と「民主主義」を使い分けるべきかについてですが、私は使い分けておりません。私の理解では民主主義はまず二つの次元に区別して理解することが有用であり、一つは制度としての民主主義、つまり民主制で、もう一つは理念としての民主主義、要するに自由と平等という理念ということになります。
田辺明生
「デモクラシー」と「民主主義」の違いについて、私は「民主主義」を理念として、「民主制」を制度として考えています。 「デモクラシー」というのはその両方、さらに民主的な実践や関係性を含む概念です。制度というと代議制を考えてしまいますが、それ以外の領域でもデモクラシーの働きは重要ですから、「民主主義」や「民主制」といった狭い言葉より、「デモクラシー」という言葉を使うほうが望ましいと考えています。私が「デモクラシー」をどのように定義付けているかと言いますと、関係性の中に位置付けられた多元的な主体が、自然を含む他者との交流の中で、それぞれの行為主体性を発揮し、より良き関係性のネットワークを実現すること、つまりオルタナティブな自己決定の可能性に開かれた、社会的、政治的、技術的条件のこととしています。
『万国公法』は、アメリカの国際法学者ホイートンHenry Wheatonのスタンダードな国際法の教科書《Elements of International Law》(1836初版)の中国在住アメリカ人宣教師W.マーティン(丁韓良)による中国語訳(底本はおそらく1855年の6版)。1864年刊。翌1865年(慶応1)に幕府開成所により訓点・振りがなを付して翻刻刊行され、維新後も版を重ねた。(世界大百科事典 より)
「民本主義」に関して、政治学者吉野作造は論文「憲法の本義を説いてその有終の美を済すの途を論ず」 (『中央公論』1916.1)の中で、デモクラシーには「国家の主権は法理上人民に在り」という意味と、「国家の主権の活動の基本的の目標は政治上人民に在るべし」という意味とがあり、「民主主義」は第一の意味を表現しているので、君主国体をとるわが国には適切でなく、第二の意味をあらわす「民本主義」という訳語が適切だとした。民本主義は、政治の目的を「一切民衆の利益幸福」とし、政策の决定を「一般民衆の意志」に置くものと説明した。また、実際の使用状況について、「人々が国体と異なる意義の「民主主義」を認識している時に、学界では一時期はなるべく「民本主義」をもって前者と区別しているが、一般民衆がすでにいままでの「民主主義」の言い方に慣れていて、最終的に「民主」という漢字語に絶えず新しい意味を付与されることになった。」と陳の研究による。
參考文獻
論文・報告(年代順)
- 文化庁「平成19年度「国語に関する世論調査」の結果について」2007年。
- 野口忠彦「『民主主義』は適訳か――『デモクラシー』訳語考序説(4)」『政治・経済・法律研究』第13巻第2号、拓殖大学政治経済研究所、2011年3月、1-23頁。
- 陳力衛「『民主』と『共和』 : 近代日中概念の形成とその相互影響」『成城大學經濟研究』第194号、成城大学経済学部、2011年11月、9-35頁。
- 佐藤琢三「外来語研究における意味分析-「ムード」と「雰囲気」の類義関係による事例研究-」『学習院女子大学紀要』第15号、2013年、45-56頁。
- 垣花真一郎「カタカナ語と漢字語の既知感,理解,印象の違い──付印式,記述式語彙テストの比較──」『心理学研究』第94巻第3号、2023年。
本
- 索緒爾 (Saussure, Ferdinand de)。《普通語言學教程》。高名凱譯。商務印書館,1980。104 頁。(原著出版於 1916 年)
- 辻清明 編『政治』岩波小辞典、岩波書店、1978年、第3版。